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作者:七瀬

プロフィール

・1977年7月生まれ
・職業:某デリヘル店に勤務

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Archive for 1月, 2013

『たなびけば、』 (12)

1月 17th, 2013

無理やりを装うセックスは、彼を思い出させる。セックスの主導権は彼が握っているように見せて、実は私にあった。
それは、私の欲望を彼が再現してくれる努力をしてくれていた、ということである。
タイ人とのそれは嫌ではなかった。むしろ濡れて行くのがわかるほどに興奮していた。
誰のものでもない私が、誰かわからない外人と、なんだか理解不能な国でセックスしている。

乱暴に髪を掴むのと対照的に、タイ人の手は優しくクロッチを上下して、私を感じさせようとしていた。それから、パンツの中に手を入れてきてアソコを触られると、血液が集中してきて熱くなっていくのわかる。グチュグチュと音がして、私は恥ずかしい。誰が相手でも、きっと濡れてしまうこの体が恥ずかしい。

運動にも似た擦りあいがひとしきり続き、精子をだす。陰毛にこびりついた精子が悲しい。

「ありがとう」

と言ってキスされて、私は少しだけムカつく。セックスの後の「ありがとう」、バカみたいな言葉。バカじゃないの?世界中の男はバカなのかもしれない。あの空港の軍隊みたいな威張ったオジサンも「ありがとう」と言うのだろう。彼もたまに言っていたような気がする。髪が乱れた私とティッシュを取ろうとしているタイ人が、点いていない大きなテレビの暗い画面に映っている。

鍵を預けてくれて

「使い方はわかるね」

とタイ人の男は言った。

「使い方ぐらい知っている」

と言ったけど、ドキドキしていた。留守番を頼まれたのだ。

「君が思っているよりインドは危ない、このアパートの敷地からは出ないように。ジムも商店も、それにドックランもある」
そして

「仕事に行く」

と言って、私を置き去りにして出て行ってしまった。リビングからベランダに出ると痛いぐらいの日差しが照りつけた。
下を見ると、すでに車は待っていて、インド人のドライバーがドアを開けているところだった。
エントランスからタイ人の男が出てきて、何か英語で話しながら車の後部座席に乗り込み、行ってしまった。静かだ。

テレビで音楽番組を見ていたが、よくわからない。知っている芸能人は皆無だ。例えば、アメリカの音楽番組では知っている芸能人がよく出てくるし、曲も日本で聞こえるものばかりだし、楽しめる。だが、ここは、全くの別世界のようだ。全くわからない。全く知らない世界に触れることは、基本的に不安なことだ。今までの自分の常識は役に立たない。ふわふわしている地面に立っているように、危うい。
時々流れる日本で有名な車のメーカーのバイクのCMだけがテレビの中で唯一、ここは現実なんだ、と教えてくれる。ずいぶん遠くまで来た。テレビを消す。

白尽くめのアパート。エアコンの音だけが低く聞こえる。ふいに彼を思い出して名前を呼ぶ。呼んでみたところで、聞こえるはずもない。彼は何千キロの離れた日本にいるのだ。バカみたい、いや、私はバカだ。

何か飲もうとキッチンに行くと台の上にマンゴーが入った箱があった。
箱を開けると、オレンジ色のマンゴーの官能的な匂いがキッチンに広がった。
いくつかある中の特別おいしそうに見えるものを1つ選んで箱から出す。包丁を使って皮を剥く。マンゴーの汁が手を流れる。シンクに水分が多く含んだ皮をボトリと落とす。包丁で果肉を削ぎ、口に運ぶ。甘すぎて、ダメだ。「おいしいね」と言い合える誰かがいて欲しいと思う。
そして、また果肉を削ごうとした時、左手の親指を切ってしまった。親指の先から、赤い血が流れる。とっさに洗おうと水を出したが、インドの水は危ない。お腹が痛くなるのは嫌だ。
傷を舐めた。鉄の味がした。血がにじんで、また舐める。今、私の舌は血で赤く染まっているのだろうか。「おいしいね」と言いあえる相手がいてくれたら、指を切る小さなアクシデントも旅行での大事件として笑える思い出になっただろう。包丁なんて、得意じゃないんだ。料理なんて嫌いだ。マンゴーなんて食べたくなかった。
剥きかけのマンゴーと皮をゴミ箱のほうりこんで、指を舐めて、舌は鉄の味に染まり、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。指の先に、小さい心臓があるみたいに、ズキズキと痛い。

つづく…

七瀬 小説